あれから22年。
1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県・上野村の御巣鷹山の尾根に墜落して、乗員乗客520人が亡くなられた事故から22年。
当時、高校1年の夏休み、昼間は部活(ラグビー)をして夜、御飯を食べて、風呂に入って寝る。朝起きて、また、部活という夏休みを過ごしてました。
その日もいつもと同じようにテレビをみながら夕飯を食べていたら、ニュース速報!「ジャンボ機が行方不明・・・」
それから、テレビのニュースを夜遅くまで見ていました。
次の日から、テレビ・新聞から飛び込んでくる惨劇、生存者確認!という一瞬の喜びもありましたが・・・。
多くの方が亡くなられて、安置する場所がないので藤岡市内の学校の体育館などが遺体の安置場として使われていると市内から通う同じラグビー部員がその状況をみんなに話しているの聞き、怖くなったのを記憶しています。
“2度とあってはならない事故”
“未然に防ぐことは出来なかったのか”
チョットしたミスが大事故につながる!
チョットしたことを見逃さない!
安全に対する思いを強く持たなければ!
カミナリのような大きな音がしたんだよねぇ!たまたま外に居て聞いたんだけどさ、だけどカミナリと違って「ながぁーく」鳴り響いたんだよ。
今でも鮮明に覚えてるよ。
テレビのニュースじゃ未確認情報ばかりでさ何が何だか。
だけどその晩オイラ、沢山のうめき声が耳から放れなくて生存者が居る事を確信したんだ。三十人位は居たかな?・・・
その日或る所でそう話したけど、誰も信じなかったね?。
投稿: ??? | 2007年8月12日 (日) 22:04
日航機事故と戦争のことは、次の世代(子供達)に事実・真実を伝えていかないと・・・。だから、“真実”を伝えてもらいたい・・・。
投稿: 菓子太郎侍 | 2007年8月15日 (水) 12:34