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2007年3月

2007年3月31日 (土)

年度末

Hana2 “年度末”今日で仕事上では一区切り。菓子の製造、販売の他にたな卸しやらファイルの整理やらで慌ただしい一日。今期最後の仕事は、さっき電話で「群馬の花」を送ってください!と宮城県のお客さんから注文があったので「群馬の花」の梱包作業が締めくくりです。明日からの新年度、イイ“スタート”がきれるように《気合だぁ》《気合だぁ》《気合だぁ》・・・・・・・!“太陽”いいかぁ“オイッ!”

2007年3月30日 (金)

一足早く!?

Hina雛祭り・桃の節句、女の子の初節句のお祝いです。3月3日が一般的ですが、下仁田地域では、一ヶ月遅れの4月3日なので結構戸惑う人もいますね。男の子の端午の節句は、5月5日でほぼ一緒ですが何故ですかねぇ?3月3日か4月3日のどちらかを祝日にすれば分かりやすくイイと思うのですが・・・

2007年3月29日 (木)

“スタンダード”

Osekihan お祝いの時などに引き物として使われる「御赤飯」です。この「御赤飯」は、基本(標準)ラインみたいのはありますが、地域、お店などで違いがあります。総本家紙屋では、「御赤飯」に使う豆は、《金時豆》ですが《ささげ》、《小豆》、《甘納豆》、《甘露煮の豆》を使ったりと様々です。ほかに胡麻も《黒》、《金》、《白》とか、付け合せに《紅生姜》というのもあります。「御赤飯」に限らず「お菓子」も様々で“○○はこうなければダメだ”とか“○○を原材料として何割以上使わナイとダメ”なんてのは、あまり意味のナイことだと思います。日本酒やビールと違いますからね!(○○何%以上が、純米酒、吟醸酒、ビール、発泡酒)みたいなとはね! 

2007年3月28日 (水)

卒園式

 “卒園証書”Akashi_3

今日3月28日うちの子供が保育園の卒園を向かえました。5年3ヶ月の間大した病気もせずにほぼ皆勤の保育園生活でした。園長先生はじめ、保育士の先生方にはたいへんお世話になりました。これから先、多くの節目を向かえていくわけですが今日は、その内の一つです。“ヤツ”は、今日の卒園で何を?感じたのかなぁ。一言いいたいのは、《型》にはまるなよ!ってこと。《型》はまると“可能性”が小さくなるからイイ意味でドンドン“裏切って”くれ!

2007年3月27日 (火)

“段取り8分”

Dandori “段取り8分(ぶ)”お菓子を作る過程で「包餡」の作業がありますが直接餡鉢から包餡する場合と予め餡を切り分け丸めてから包餡する場合がありお菓子の種類などで使い分けています。「道明寺さくら餅」は、丸めてから包餡をします。今、道明寺が蒸し上がるのを待っている状態です。《準備はOK》“段取り8分(ぶ)”ってけっこう好きでよく使っている言葉です。

2007年3月26日 (月)

“ありがとうございました”

Uguisu 「うぐいす餅」の今季の製造及び販売は終了します。新年2日から約3ヶ月間、季節菓子として製造・販売をしてきました。期間中のご用命たいへんありがとうございました。「うぐいす餅」、一年通しての製造も“可能”ですがやはり和菓子などは、季節感が“大事”ですの《季節限定》にしています。2008年1月2日また、“お会いしましょう” 「うぐいす餅」より。

2007年3月25日 (日)

“どっちも大事”

Tsukue 今日、子供に「学習机」を買って上げました。まぁ4月から小学1年になるからしょうがないかな!机に向かっての勉強も大事だけど、自分が“楽しいとか悔しいとか嬉しいとか悲しいとか痛いとかカユイとか気持ちイイとか・・・”色々な経験をして何かを感じる事のほうが大事なような気がします。

2007年3月24日 (土)

彼岸明け

Hana1_1 24日で春のお彼岸が明けました。お彼岸期間中に先祖のお墓参りに故郷へ戻られた方がお帰りの際、お土産として「群馬の花」をお使い頂いたおかげで各お土産店から品薄の連絡がありました。明日の日曜日、納品予定の「群馬の花」。脱酸素材を入れてシール止めをして“万全”を期しております。

2007年3月23日 (金)

「祝 卒業」

Kouhakumochi卒業 おめでとうございます。 3月23日(金)は、下仁田町にある小学校5校の卒業式でした。下仁田町から依頼を受けた下仁田菓子組合を通じて総本家紙屋へ『卒業祝いの紅白餅』の注文を頂いたので《心を込めて》作りました。今年の卒業生は88名で、やはり年々減少傾向にあるようです。でも、人数が少ない分一緒に過ごす時間も長くなるからイイ関係がつくれそうな気がします。(人数が多かった時代)に比べると! 

2007年3月22日 (木)

『継承』

Jkinu

寒天、水飴、砂糖を煮詰めて羊羹舟に流し、凝固したら舟から取り出し切り分け、みじん粉(糯米を搗いて餅にして焼いて乾燥させてから挽いたもの)をまぶして、表面を乾燥させると・・

総本家紙屋に『上州絹』というお菓子があります。このお菓子以前は、先代の姉が嫁いだ高崎の老舗和菓子店で製造販売されていました。そこの主人が熊本名物の「朝鮮飴」をヒントに創製したものです。「朝鮮飴」とは、肥後名物で1580年ごろ創製されたといわれ“長生飴”と呼ばれていました。その後、1593年ころ朝鮮の役に、加藤清正公が戦場に携帯させ、これを食して飢饉を防いだと伝えられ、高麗飴、朝鮮飴と呼ばれたそうです。その老舗和菓子店が一身上の都合で“暖簾”を降ろす際に、『上州絹』は、素晴らしいお菓子だから総本家紙屋で受け継いでくださいと託されたのです。主人から直接、作り方を教えていただき今では、総本家紙屋の代表銘菓の一つとして人気の高いお菓子となりました。第24回全国菓子大博覧会 九州in熊本で《金賞》を受賞!これも何かの縁?

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